兵藤動物病院 取材レポート
相模鉄道本線二俣川駅より厚木街道を西にまっすぐ進むと、左手に姿を見せるパステルグリーンの建物が兵藤動物病院である。
二俣川は第2次世界大戦後に住宅地となった場所で、今回取材をさせて頂く兵藤哲夫先生は五十数年もの間この土地で、病院の経営と共に動物愛護の活動を行ってこられたそうだ。
また、忙しい身でありながら、(社)日本動物福祉協会・(財)神奈川県動物愛護協会等の理事としてもご活躍されている。
若々しくバイタリティに溢れ、『生涯現役』という言葉がぴったりな兵藤先生にお話を伺った。
動物の保護活動について
兵藤先生は大学を卒業してすぐ、静岡県の衛生部で『狂犬病予防員』として勤務していた。
その時はまだ猫は対象になっておらず犬だけで、犬をただ殺処分して焼却するだけの仕事をしていたそうだ。まだその時には二酸化炭素ではなく、鉄パイプを使っての“撲殺”。
ショッキングな事実だが、動物愛護法など存在しない50年前は、そういう時代だっ
たという。『その時と比べたらば、本当に素晴らしい生活の変化があったことは確か』と兵藤先生は語る。
その後、県をご退職され、そして横浜の動物病院に研修に入って、ここで開業して53年程…月日は経過したが、また犬や猫がどんどん捨てられる時代が生まれ、野良犬や野良猫が食べ物や住処を探して街を彷徨いはじめる。飼い主のいない動物はどんどん保健所に送られ、殺処分されていく。そんな状況を改善しようと、これまでは里親募集を個人で行っていたが、“これでは駄目だ!”と、開業して10年くらい経ってから『(公社)日本動物福祉協会 横浜支部』を立ち上げ活動を行ってきたそうだ。
しかし、それでも助けられるのは全体の殺処分の数に比べれば微々たるものでした。
兵藤先生を活動に駆り立てる原動力とは―
『恵まれない者についての優しさは持っている…と思っている。犬や猫をこう、お世話したり愛したり救ってあげたりするということは比較的社会での関わり合いがないところで表現ができます。これは私だけではなくて、あなた方もすぐそれができます。誰でもできます。1匹の野良猫を助けるのは、誰でもできます。
犬や猫なんかはまったく財産がないし、所有権もはっきりしていないから、自分の家に持って帰って新しい飼い主見つけてあげれば、もうそれで終わりですから。
だから、犬や猫を助けるのはとても簡単で、その点では、僕は簡単なことを簡単にやっているだけであって』そう兵藤先生は語る。“見返りを求めない”―…求めても、無いのだから求めない。“無償の愛”とは、まさにこのことである。
犬猫を愛したり救ったりするのは“無償の愛”に繋がるという。
動物“愛護”と動物“福祉”について
一方的な愛情のかけ方というのが動物“愛護”。反対に動物側から見て、動物にとっても快適というのが“福祉”。考え方が大きく相違している。
『老後があるのはペットと動物園の動物と人間だけ。よって、ペットに関しては“愛護”という解釈でよいのでしょう。“動物愛護”は“死ぬまで飼う”ということですから。
他の野生動物には、老後など一切無い。鳥は飛べなくなればそこで終わり。ヒョウはあんなに足が速くて、エサがたくさん獲れていたのに、歳を取って、関節が弱くなって、スピードが出なくなればもうその子は終わり。ヒョウの兄弟・親族がきて、その子をずっと養う…なんてことはあり得ない。今、私たちが“動物福祉”をやっているっていうのは、“生きている間だけは”ちゃんと育ててくださいね、動物福祉を思って、動物が快適な生活を送れるようにしてください、それで、死に方もきちっと、苦痛の無いように死なせてください…ということです。』
そうでないと、安楽死どころでなく、前述にもあるようなもっとひどい殺し方になってしまう。
『動物愛護法では、全部の動物は網羅できないということは分かっているにも関わらず動物“愛護”法なんです。これは日本の民族性で、動物と関わり合いにならなかった歴史が奈良時代からずっとあるからなのでしょう。家畜を利用することもしなかった。近代牧場が始まったのが明治で、それまでは仏教の、“殺してはいけない”という思想がずっときていましたから。だから、“動物は殺してはいけません”“殺すことは悪いことだ”という思想が日本人の中に根付いてしまったんです。殺すことが悪いなら、表現は“愛護”でいいんです。
野生の動物に、こんな籠のなか狭すぎるんじゃないのか、エサも適切じゃないんじゃないのかとか、こんな寒いところに置いていたら駄目じゃないかと、改善していくのが動物福祉です。
動物“愛護”には安楽死の考え方はありません。動物“福祉”の安楽死には、歳で、苦痛があって、もう助からない病気だったらば、人間が介在して苦痛の無い方法で、あの世へ送る、というのが動物“福祉”の考え方です。ただ、“安楽死”は、お医者さんの医療のひとつとして考えているんです。
“愛護”っていうのは、行き詰まります。まだまだ若くて第二の人生がある子たちには積極的にそういうチャンスを、“譲渡”ということであげなくちゃいけないけど、病気して、もう先が無い、あるいは人間の都合でどうしてもこの子は生かしておくことが出来ない、ということを認めた場合にはそれは“安楽死”…それは容認します。
だけど、努力なく“殺処分あり”じゃぁ駄目ですよね。』
【兵藤先生に聞いてみた】
兵藤動物病院では、院内で里親の募集をしていると伺ったのですが。
『今日はね、ここで保護している犬と猫がいて、欲しい方を、審査を兼ねながら、“この人だったら飼えるかな”とか“この人はダメだな”、“あなたの家はもう少し我慢しなさい”とか色々言うんです。しっかりした人物か観察できれば、まずそんなことはないけど、怪しい人は譲渡しては駄目です。
審査の時には、子供がいて、夫婦がいて、そういう家族関係から始まって、新しい飼い主の審査が始まります。未成年にはあげないとか、独り住まいにはあげないとか、ある程度の大枠は抑えておいて、その中で審査に入って。
昔はそんなことはやっていなかったんです。次々と持って行ってもらえればいいと。どっちみち殺されるんだから、3日でもいいから幸せになってよ!という。そういう乱暴なノリだったので。どっちにしてもそこで助けてあげなければ、ガス室に送られてしまいますから。
3日でいいから、ちゃんとした生活してもらって…という思いでした。
今はもうそんなことはなく、かえって審査が厳しくてなかなか成約しない、まとまらないんです。
高齢者の方でも次世代の方と一緒に来て下さる方もいますね。次世代の方が来れば、その人たちが面倒を見てくれるので。ここは、お年寄りと若い世代から、一緒に来てもらいます。』
先生のもとに虐待が疑われるペットは運ばれてくるのか?
『虐待そのものはそんなに多くないです。分かりにくいので。けれど、虐待と思われた時には届を出さなくてはいけないことになったので。その届はこれから増えてくるかも知れません。人間もそうですよね。子供にあざがあったりとか。
ネットではよく出ますよね。でも、虐待の実例は分かりにくい。密室でやる事が多いですから、実際。そうすると、ネグレクトっていうのがあって…いわゆる飼育放棄です。その中で問題になっているのが、多頭飼育崩壊。集めすぎてしまって面倒が見れなくなって、結果的には汚い所に住まわせて、エサもろくにあげられない。次から次へと産まれてしまう…これを虐待と捉えれば…もちろん、ネグレクトはもう虐待ですよね。
外で餓死しているのも、僕に言わせれば虐待だと思っています。みんなはまだ気づいていない。自然に死んでいくのは虐待じゃないと思っていますが。住まいも与えず、悪い環境の中にほっぽって、ただ手術をすればいいのか?という問題ではなくなってきているんです。
捕獲して捕まえて元の位置にやろうって…それはいいことなのか、減るからいいことなのかって…それで、放した猫たちが死んでいく。そこまで考えて、みんな放すのかなぁ…という所まできちゃってます。だって、10匹いたとして9匹は捕獲できたと。1匹はメス猫で逃げたと。4年経つと、また10匹に全部戻っちゃう。そうすると、外でいるのはいいのかなぁと思います。避妊手術は、行政は無料でやること。そこへ持って行けばただでやってくれますよという。その窓口を絶対作るということをしないと、駄目ですよね。
それから、外で飼ってはいけない。今、お腹を空かせている猫たちは大体5・6年で死ぬんで…10年見ればいいかなと。10年後には、猫は家の中で飼われる状況。これは、“動物福祉”だと思っています。
外に出さないのが虐待だという人もいますが、それは、猫の習性を知らないので。猫は家の中で、許容量の範囲で、と思っています。それが虐待とは思っていません。ただ、むしろ近隣に迷惑をかけて、そこから虐待が起こる場合も多いのであって。毒エサを撒いたりする人もいるけど、それは、猫は増えるから嫌なんですよね。たくさんいるから、そういうことができる。1匹くらいのんびりしてるんだったら、みんな嫌じゃないんですよ。自分の所にうんことかしに来ないんだったら、和やかじゃない。猫が昼寝してるの見る分にはね…安全な地域なんですよ、猫が寝そべってるところは。だから、そういう地域で生活してるのが一番いいんですけど。それは猫だらけだったら…いつも決まった家に行ってうんこしてたら、結局そこでトラブルが出てくるから、なるべくなら外では飼わない。
必ず責任を持ってライセンスを持って、昼間の間に皆さんに“この猫は私が管理します”と届けてからやらないと。ただ、何かあった時にはその人が出て行って解決すればいいと。今は夜、闇に紛れてエサをあげに行く人がいますから。そんなことやってるからいつまでたっても解決しないんだということで、なるべく昼間の間に、外にいる猫たちに完璧に所有者責任を課すべきです。飼い主責任は法律の中に書いてある…エサもちゃんとあげなさい、ネグレクトはいけませんよ、とか。ただ、それをどこに適用していいのかですよね。飼い主がいないので…飼い主がいないと、誰が責任を取るんだとなりますから。
ライセンスにすればね。猫にエサをあげちゃいけないとか言っていると、お腹の空いている猫もいるでしょうし。やってもいいけれども、あなたの責任の元でやってくれと。
ライセンス発行して“この地域の責任者です”と、悪いことした時には、“あなたが飼い主責任を負って下さいね”という風にする。その時、“あなただけじゃないですよ、地域の人たちもちゃんと出ますよ、行政もあなたのバックについて出ますよ”と、獣医師さんも“手術があれば協力しますよ”と、そして地域の猫を護ってあげると、そういう制度にしないと。いつまでも…言ってから何十年もかかるんです。言い出してから、なかなか変わらないんです。だけど、言い続けなければ、変わらない。』
ペットの愛護団体について思う事
『ペットの愛護団体って、たくさんありますが…これが、もう少し視野を広げて、家畜の方までいってくれるといいかなぁと思うんですけど。まだ時間はずいぶんかかると思うんですがね。でもずっと長いことやっていれば、必ず進んで行くことは確かですから。だから、長いこと言い続けなければ駄目ですよね、やっぱり。ヒステリックな考えではなくて。10年スパンくらいで考えていかないと。ずいぶんよくなっていますから。そういうステージをたくさん提供すればね。我々が。』
【兵藤動物病院を写真でご紹介】
トリミング室の入口です
すっきり気持ちよさそう
保護された要介護のワンちゃん
保護されたばかりのネコちゃん
治療中のワンちゃん
手術中…
保護されたワンちゃん
実習生さん(採用が決まっている)
里親のお仕事をしたいとのこと。今後のご活躍が楽しみです。